私はかなり食い意地の張っているタイプだとは思うが、ドイツは正直に言って「グルメ旅」には向かない国、だと思う。しかしドイツにいる間、食事で不自由な思いをしたかというと、そんな事は全くなかった。一応レトルトの粥やふりかけのような物を持って行ったと思うが使った記憶は一度もない。
2回目のドイツ旅で一番最初に食べた一応ドイツらしいといえる料理は「シュニッツェル」だ。発祥は隣国オーストリアという説もあるようだが、ドイツだけでなく欧州全体、そして日本にも似たような料理がある。要するに薄く叩きのばした肉のカツレツである。日本では普通、ある程度厚みのある豚カツが最も一般的だと思うが、私がドイツで食べたのはおそらく鶏肉で、普通に良くある美味しさだった。揚げ物なら、どの国でも好まれるとは思うが、その分、薄く平べったい見た目にも特に目新しさはない。
30年前の事なので、よく思い出せないのだが、スパゲティを何度か選んだような気がする。スパゲティならドイツ語のメニューでも読めるしハズレがない、と2日目辺りで気付いたのだろう。「でもパスタってイタリアだよな…」と無知な私は少々疑問を感じながらではあったが。
ある時、二人とも、ど~しても「米を炊いた飯」が食べたくなり、日本食が見当たらなかったので(寿司はあったが高い)、中華料理店に入った事がある。一人ずつ違うものを頼めば少なくとも味や食材の違う料理を2種類は味わえると考えたのだが…、なぜか似たような色合いのチャーハンが山盛りで2皿出て来てしまった。「米を食う」という目的は達成できたが、半端ない分量だったので、二人とも半分以上残してしまい、私は持ち帰りにしてもらって翌日の朝ご飯にしたような気がするが、冷めた状態でも意外とマズくはなかった、と思う。
…ドイツ人は独自の食文化を追求するのにさほど熱心ではなかったのだろうか。…いや、そう決め付けられるほど私はドイツに詳しくはないし、むしろ私達日本人が食に関して受け入れ過ぎというか、貪欲すぎといった方が正しいかもしれない。そもそもイタリアと地続きのドイツでパスタが日常的に食べられる事を疑問に感じる前に、ナポリタンやミートソースを子供の頃から食べている私達日本人の方が稀な食文化を持っている、と考えた方が自然だ。
また、それほど空腹ではないが何か軽く食べてから宿に戻ろうという時に、偶々近い店に何となく入ったのだが、席に案内されてから、店内の落ち着いた照明や真っ白なテーブルクロスが「ディナーっぽい雰囲気」である事に気が付いた。少なくともサンドイッチなどの軽食を単品で頼める場所とは思えなかったので、慌てて店から出ようとしていると、年配の給仕係氏に非常に丁寧ながら堅固な態度で押し留められてしまった。きっとドレスコードを気にしている等と勘違いされた様な気がするし(当然二人ともカジュアルな服装だった)、注文した時の「Not dinner, supper please」という下手くそな英語が通じたとも思えないが、あの時食べたオムレツは、間違いなく一流の料理人の手によるものだと思う。絵本「ぐりとぐら」に出て来るカステラのような美しい黄色で焼きムラも崩れも全くない。少なくとも卵を3個以上は使っていそうな大きさ・厚みで「やっぱりダメだ。絶対食べきれない」と確かに思ったはずなのだが、気が付くと完食していた。とにかく美味しかったという以外、味の説明が出来ないのが悔しいが、食後1時間も経たない内に胃がスッキリと軽くなっていたので単純に生クリームを入れただけではないと思うのだが。若かったし、今以上に食い意地が張っていたから、と言ってしまえばそれまでだが、これまで生きて来て食事で感動した数少ない例の一つだ。
あ、それに給仕係氏にも一流感があったというか、押し留め方が、儲ける為に客を逃がしたくない、というより「客側も店側も恥をかかない・必ず後悔はさせない」という自信のようなものがあった…ような気がする。場所も店名も覚えていないし既に閉店している可能性が高く、確認する術はない。私の記憶の中で大幅に‘盛っている’のかもしれないが「一流のカッコよさ・最高のサービス」に注目する癖が付いたのは、このドイツ旅行以後のように思う。
ドイツという国にさほど興味がないとはいえ、「質実剛健」のイメージや交通機関が大幅に遅れる事はない等の事前情報により「貧乏旅行」初心者でもなんとかなるだろう、という希望的観測があったからこそ友人の誘いに乗った訳だが、転機と呼べるほど大仰なモノではないとはいえ、私の中の価値観や考え方が大きく変わったのは間違いない。
自分のやりたい事・興味ある事を追求するべきと何度か書いてきたが、こういう他人の興味・行動に巻き込まれる事で、大切な事を発見できる場合もある。また逆に、絶対に確実に自分の為になると思って始めた事が裏目に出たり、最悪の事態を招いてしまう場合もある。「生きていく上での選択」とは、なかなか難しいものだと思う。
第10綴で「現地に行ってから考える」と書いたが、何の当てもなくさ迷っていた訳ではない。ドイツ鉄道では駅構内に、いわゆる観光案内所が設けられていてインフォメーションの頭文字【i】が黒地に白抜きの大きな看板で分かり易く表示してある(観光客が降りそうもない田舎の小さな駅にはこの看板はなかったと思う)。ドイツ語が話せない・不案内な者は大抵、列車を降りてそこへ行き目的地までの道順や宿泊施設等の情報を無料で教えてもらえる、という仕組みが30年よりもっと以前から出来上がっていたようだ。
当然、私達は英語もおぼつかないので(というか30年前のドイツは英語があんまり通じなかったような…)、「one night 2bed」と書いた紙を見せて毎回乗り切っていた、と記憶している。
とにかく全てにおいて「値段が安い・余分な金はかけない」を基本に動いており、一泊平均2~3000円で個人経営の民宿(?)的かつ個性的な宿が多かったはずなのだが、外観や部屋の内装・宿の受付など対応した側の様子等については、ほとんど覚えていない。
かなりはっきり覚えている宿が一軒だけあるが、確か【i】で一泊(もちろん当時のレートで)約800円と紹介され「安すぎない?」「でも‘安宿’って一度は試してみたいよね」という話になり、とりあえず行ってみて部屋を見せてもらった事があった。外観は‘宿’と呼べるほど立派ではなかったが、私達が見せられた部屋は一言で表すなら「少女趣味」とでも呼べばいいのか、若い女性が喜びそうな(ちょっと茶色がかった落ち着いた色ではあったが)ピンク系の壁紙・カーテンをあしらった部屋だった。それでいて部屋の片隅には黒い鉄パイプのような物が壁の上部からU字型に飛び出ていて直径1mくらいのスペースがナイロン製のカーテンで仕切られている。これってもしかして…とカーテンを恐々開けてみると、案の定シャワ―ブースになっていた(この宿のトイレがどうだったかが思い出せない。いったん部屋を出て他の客との共用だった気がする。あの部屋の中では出る物も出ない・苦笑)。他にも、なぜかベッドが3台あるとか、可愛らしい部屋の雰囲気とは真逆の、質実剛健を絵にかいたような無口で厳つい雰囲気の女主人とか、色々と突っ込みどころ満載ではあったが、部屋にはちゃんと鍵がかかるようだし、雰囲気は悪くなかったので泊まる事にした。
ただ、荷物を部屋に置き、散策の為に玄関を出ようという段になって、唐突にジャラッと重たい鍵束を渡された。どうやら戻って来た時は、宿の玄関も部屋の鍵も自分で開けて「勝手に入れ」という意味らしい。‘何時に戻ってこようが一切お構いなし’というのは気楽ではあるが「…この鍵束、失くしたりしたら絶対弁償だよね」という緊張感は増える事になる。更に意味が分からないのはスペアキーまで一緒くたになっているのか5~6本まとめて鉄の輪に付けられていて、西洋の昔話に出て来る召使が持っていそうな鍵束だ。私達二人で玄関用と部屋用それぞれ1本ずつ分けて持つにしても4本あれば事足りるはずだし、そもそも輪から外す方法が分からない。しかしそんな疑問を解消をする気力も会話力もないので、友人が黙って自分のバッグにしまってくれた。
そして宿に戻ってくると玄関の鍵がどれか分からず少しモタついたが、女主人の手を煩わせる事もなく部屋に戻ることが出来た。だが私は少々気がかりな事があった。季節は真夏ではなかったはずだし汗だくになったというほどではなかったと思うが、やはりシャワーくらいは浴びてから寝床に入りたい。だが昼間に部屋を見せてもらってシャワ―ブースを確認した時、配管が一本だけの簡素な物で旧式のバルブのような栓が1つ付いているだけだった。あれはどー見ても暖かい湯が出て来る構造には見えなかったのだが。…そして残念な事にこの予想は当たってしまった。日中は半袖でも気にならないが、夜になるとそこそこ肌寒い。私が「うぉお”あ”お”う”」と声にならない声をあげながら水シャワーを済ませると、友人は「私は無理だからやめとく」と言って早々に寝る準備をしていた。
だが、この部屋は…、何というか、妙に落ち着ける部屋だったような気がする。水シャワーで思ったより身体が冷えてしまったはずなのだが、なぜか睡眠はまあまあ取れたような記憶がある。もう一泊したいくらいではあったが、さすがに2日続けて湯が使えないのはキツいので引き上げる事にした。支払いをして宿を出る時、何となくだが、女主人の厳つい雰囲気が多少柔らかくなっているような気がした。あの設備で苦情も言わず・騒音も出さず・室内を汚しも散らかしもしなかったからかな?とは思うが、何といっても800円だし言葉が通じないのだからしょうがないと冷静に割り切れるのは、やはり私達日本人の傾向、と言えるのかもしれない。
上に書いた‘宿の女主人’とは、また違ったタイプのドイツ的な女性がもう一人いた(←こーゆー書き方をしている時点で、かなり偏見を含んでいる事を先にご承知頂きたい)。
外国を旅行する時、最重要事項といっても過言ではないのが「トイレ問題」だ。少なくとも30年前のドイツの場合、決して数は多くはないが大きな駅の近辺であれば公衆トイレはある程度設置されていた、ように思う。ただし基本有料であり、有料の方が清潔である可能性は高い。
その時はドイツ鉄道の列車内のトイレが汚かったか何かで、駅の外側で見つけたトイレに入ろうとした。そこでドイツ旅行中に初めて、清掃係にトイレ使用料を払ってトイレに入る事になった訳だが、私の手持ちの小銭は「1マルク」しかなく、トイレ前の表示金額は「0.5マルク」となっていた。もちろん私は清掃係の女性に「これは1マルクなので後でおつりをもらえますよね?」と小銭を見せながら日本語・英語・身振り手振り(いま思い出してみても絶対言葉は通じてないのだが)で訴えかけた。清掃係は「ええ、もちろんですとも。ちゃんとわかっておりますよ」といった風情でニコニコしながら1マルクを受け取りトイレへ通してくれた。私はバタバタしながらも用を足して個室から出て来た訳だが、…この後がベタな展開になるのは読者の皆さんの予想通りである。私が清掃係に声をかけると、さっきの笑顔はどこへやら掌を返して無愛想になり「何か用?」といった態度に急変している。「あの0.5マルク…」と言いかけると「何の事だい?訳の分からない話はやめとくれ」といった状態で、取り付く島もないとは正にこのことだ。そこで改めて、そのクソバ…女性を頭のてっぺんから足のつま先まで見直してみると、かなり上背もあるし全体的に肉付きもいい。体格的にもだが旅行中で疲れの出始めた身体と脳みそでは適うはずがない。言葉が通じないとはいえ、足元を見られているのも、素っ惚けていやがるのも明らかだが、友人を待たせているし引き下がるしかなかった…(←てゆーか、たかだか30~40円の損を30年後まで覚えている自分の執念深さがヤバすぎ)。
未だにムカつきながらも、そこそこ納得できているのは、あの時は人種差別的な雰囲気がなかったからだ。あのBBAは相手が男だろうが子供だろうが国籍も関係なく、細かい小銭がなく‘切羽詰まっている’利用者全員から数十円を寄付(?)してもらって生活費に充てているのだろうから、その「したたかさ」には敬意を表したい(やっぱり悔しいけど)。
この価値観を持っている日本人はおそらく少ない、と考えるきっかけになった出来事もあった。
その時は、おそらく宿を出たばかりだったらしく全ての荷物が入ったリュックを脇において、トイレに行ったか何かの友人を待っていた。そこは、浅いすり鉢状の広場になっていて同心円の緩い階段ですり鉢の底まで行けるが、私は見晴らしの良い、その縁の当たり・上から2~3段目に座って、行きかう人々を眺めていた。「この時間帯だと通勤の人がほとんどかなぁ」等とぼんやり考えていたように思うが、4~5m先にあった電話ボックスに男性が入って行ったのは横目に見ていた。少し経つと、その男性が電話ボックスから半身を出してキョロキョロし始めた。…当然ながら一番近くでヒマそうにしてる人間など私一人しかいない。その男性はあまり迷う事もなく左手を軽く握りこぶしの状態にして、私に向かって小さく振ってみせた。「書く物ある?」という仕草であるのはすぐに分かったし、ペンとメモ帳はリュックの一番上のポケットに入れてあるので、それを差し出すと、男性はペンだけをそっと抜き取り受話器を顎と肩で挟みながら手の甲に何か書きとっていた。そして受話器を戻しボックスから出て、私にペンを返すとあっという間に立ち去った。ほんの1分程度だったし「Thanks」も「Danke」も全くなかったが、非常に静かでほぼ無駄のない円滑な連携プレー(?)に、私が気を良くしている所へ友人が戻って来た。その場にいなかった友人には私の興奮が伝わったかどうかは覚えていないし、こんな些細な事にいちいち喜んでしまう私が大げさなのかもしれないが「言葉を使わなくても人の役に立てる」という体験が、旅程の半分ほどで疲れが出始めた脳みそと身体に、ちょっとだけ活力を回復させたのは間違いない、…と思う。そして相手が同国人か、など一切気にせずに気軽に頼み事をし、また頼まれた方も別段礼など言われなくとも特に気にもしない。そんな淡々としたやり取りが島国育ちの自分にもサラッと出来た事が普通に嬉しかったのだ。
人間とは勝手なモノで、これが2~3日後のもっと疲れた状態だったら、男性の頼みを無視してペンを貸さなかったか、礼を言われない事に腹を立てたりしていたかもしれない。少なくとも逆の立場、つまり私がペンを持っていない側だったとしたら、言葉が通じそうもない外国人には絶対に頼まないし、同じ日本人が傍にいたとしても「ペンを貸して」と声をかける事も無く、後で電話を掛けなおすような気がする。この欧州男性のように「気軽に声をかけ人の助けを借りる」のと「周囲を頼らず自力で何とかする」のと、どちらが正しいのかを論じたい訳ではない。というか、どちらにもプラスの要素・マイナスの要素、両方が混ざっていて一概には言えない。
ただ「異国を旅する」というのは、自分の中で固まっている先入観や偏見が通用しない、色々な要素が混ざった予測のつかない世界で変化する感情を味わったり、普段とは違うイレギュラーな‘自分’を発見できるという意味では、またとない機会である事は間違いないだろう。
※やはり(その2)でも書き切れなかったので、(その3)まで、お付き合い願います。
第12綴(その3)は、まだ一字も書き始めていないのですが、「異国について」全体の内容的なバランスをとる為、或いは後から思い出した出来事などがあれば、(その1)(その2)に後から加筆する可能性があります。大幅な書き足し・変更の場合は、この※を付けた注意書きでお知らせしますが、小さな訂正など細かい箇所については、まことに勝手ながら私個人の判断に任せて頂きたく、いちいちお知らせもしませんので、その点、ご了承ください。
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