異国について(その1)      〚第10綴〛

このブログも、とうとう第10綴までたどり着いた…。
ブログ文章を実際に書き始めたのは去年の11月だったから、筆者である私個人としては一周年になる。余りにも小さすぎる目標ではあるが、ほんの2~3年前は(かなり‘まし’になって来ていたとはいえ)先が見えずに焦っていた部分も大きかったから、現在の、こうして落ち着いてキーを叩けている自分が実に嬉しい。
読者の皆さんも、当ブログを読みながら「やきもき」「はらはら」「もやもや」させられて来た事とは思う。しかし念のため断っておくが、私の病気の回復の遅さに最も長期に渡って、やきもき・うんざりして来たのは私自身だ。しかし、そんな中でも一年間書き続けて来られたのは、やはり読んでくれる人間がいればこそなので、ここで改めて感謝の言葉を書いておきたい。
なんだかんだ言っても新聞や小説同様、ブログも読者がいてくれなければ何の意味もない。私の「書きたい気持ち」「書くべきという意欲」を(色んな方法で)引き出してくれたのは、他ならぬ読者の皆さんだ。心から(できれば含めたくない人物もいるが一応、全員に)感謝申し上げる。皆さんのお気遣い・励ましに対する「ありがとう」の気持ちを今、ここで、打ち込んでおく。
ただしコレは、純粋に、ブログを読んでくれている読者全員に対する‘礼’であって、特定の人物や特定の行動に対する評価は1㎜も含まれていない事も明記しておく。…というか、後々の負担や誤解を少しでも減らす為には、あまり表立った行動はしない方が、結局は「お互い」の為になる、という事も、前回に引き続き、クドいようだが書いておく。どんなに“純粋な善意”であろうとも、‘私’の精神疾患を回復させる為には1㎜も役立たないし、むしろブログ記事UPが遅くなる可能性を増やす場合が多い事を“改めてもう1度”書いておく。
先月10月中は、ささやかながら個人的に、これまでにない変化があった。これをきっかけに私にも修正すべき点があった、という事に改めて気付かされた。‘うつ病持ち’でズレた部分があるのは理性では分かっていても、自力だけで気付いて修正するのは、ほぼ無理だ。改めて自戒する為にも、これまでの流れとはちょっと違う方向性の文章を書く事で、私自身の脳みその中身を一度洗い流したい。
というわけで、今回は全体的にほっこり系の話ではあるが、もちろん私が実際に体験し、私自身の頭で考えた・私自身の感覚で気付いた事であるのは言うまでもない。

こんな私でも生活に困っていない時代があった(苦笑)。
海外旅行にも何度か行っている。私にはドイツ好きの友人がいて、彼女と一緒に2度ドイツを訪れた。
「旅行」というと、基本的に同行者とのトラブルは付き物だという事に、この後、何年か掛けて気付いていく事にはなるが、この友人とは「全然」と言っていいくらい嫌な思いはした事がない。高校時代に、休み時間におしゃべりをしていてそれなりに楽しかったという記憶があるだけで、お互いに特段仲良しという認識があった訳ではないと思うが、とても有意義な旅行が出来たのは彼女のおかげだと思っている。
今回は、そのドイツ旅行について、の話だ。

ドイツには2回行ったと書いたが、1回目は当然パック旅行だった。彼女も私も二十歳そこそこで海外旅行は初心者だ。バックパッカー的な貧乏旅行に憧れてはいても実行する勇気はない。下見と練習を兼ねて、という事で最初は大手旅行会社の‘お仕着せ’で我慢する事にした。
当然ながら他人の決めたスケジュールというのは、やはり何か物足りないが、添乗員の女性がとても気配りが行き届いた方で、旅程中は特に大きな問題もなく、快適に過ごす事が出来た。
ただ旅行が始まってすぐの段階で、私が考え無しに旅行かばんに入らない様な少々かさばった土産物などを買ってしまったばっかりに、私が壊したり失くしたりしないかと、最初の2~3日間ずっと、その添乗員さんに心配されてしまう事態となり、私は内心「余計なお世話だってのに」とイライラしてしまった。今更ではあるが、あれはどー考えても私が悪かった、とそれなりに反省している。……というか私の「おせっかい嫌い」は、この頃から既に発揮されていたようだ。
また、物足りないとはいっても、雲海に浮かぶノイシュバンシュタイン城を見た時は、御伽の国の世界に入り込んだような正に幻想的な景色・空間を堪能できたし、キリスト教徒の多い欧州の、少なくともドイツの国民はクリスマスという祝日を心から待ち望み、楽しみにしているという雰囲気も味わう事ができた。
1回目のドイツ行きは、確か10月下旬にかかっていたと記憶しているが、既にその時期にはクリスマスに向けて準備が始まっているらしい。しかし普通に街中を歩いているだけでは日本人の私達にはよく分からない。
だが外見は地味にしか見えなかった普通の店のドアを開けた途端、思わず息をのんだ。目の前には、まばゆい金色の光が幾重にも重なっている状態しか見えないのだ。「え?ここ店じゃないでしょ。入ったらマズい所では?」と一瞬慌てたが、目が慣れてくるとクリスマス用の装飾品の店だというのが段々分かってくる。つまり3~4秒経ってからでないと何が並んでいるのか分からないほど、商品棚も壁も天井も、黄金の輝きで埋め尽くされているのだ。あれは実に圧倒された。…といっても圧倒されるほどの見事な展示をしていたのは、その一軒だけで、そこ以外の店は日本の3割~5割増しくらいの賑やかな品揃え、といった印象だったが。
その他にも大型バスでの長距離移動時には、“黒い森”やアルプス山脈を眺めながらオペラだか交響曲だかを大音量で聴かせてもらうという添乗員さんの粋な計らいもあった。しかも運のいい事に、ドイツ1国のみを回るコースには申し込みが少なかったのか、40人乗りのバスに20人ほどの乗客だったので、おそらく全員が二人掛けの座席を1人で占有出来たので、心置きなくゆったりと美しい大自然と最高の音楽の両方の壮大さを同時に堪能できた。やはり音楽というのはその土地の風土が産み出す物なのだ、などと悦に入ったりもしていた。クラシック関連の知識なんてほとんど持ってないくせに(汗)。

この文章を書きながら少しづつ思い出してきたが、30数年前は「どうせ欧州まで行くなら1つの国だけじゃもったいない。3~4カ国は回るべきでしょ」といった風潮があった。私達日本人がエコノミックアニマルなどと揶揄され、出っ歯で眼鏡をかけ首からカメラを下げた日本人像が風刺画的に使われる習慣がまだ残っていた頃だ。実際、裕福な日本人観光客がブランド品を買い漁っていた事実もあったのだろうが、私も友人も高価な商品には一切興味がないどころか、旅行費用をいかに安く抑えた上でどう楽しめるか、ばかり考えていた。
結局、偏見や固定観念なんて、こんなもんなのだ。周囲から何を言われようとも世間からどんなにズレていようとも、自分がどんな旅をしたいのか?「狭く深く」なのか「広く浅く」なのか等、自分の好み・興味に合わせて考えた方が有意義だし、何か問題が起こったとしても、それは自分の責任であって他人のせいになど出来ないと思えば、より真剣に計画するだろう。私達のように、一つの国に絞ってその国に関する知識を深めるのも良いし、複数の国を廻って国の違いを比較するのも、また違った楽しさがあるに違いない。
現在は経済的側面もあって日本人の海外旅行熱はすっかり冷え切ってしまっているが、だからといって日本人の自尊心まで萎え切っている訳でもない。海外から観光客を迎える側になった事で、30年前とは打って変わって、この数年で急に日本人や日本の文化習慣が称賛されるようにもなったし(今後移民が増えれば、現在のこの高評価もすぐまたひっくり返るだろう)、特定の国の観光客が特別マナーが悪いというよりは、どの国にとっても「観光客・外国人」という存在が全般的に礼儀作法にウトい、と考えるべきではないか。事前に学んでいようがいまいが、その国に住んでいなければ細かい事が分からないのは当たり前だし、どんな国籍を持っていようとも「旅の恥はかき捨て」の部分があるのは当然の話ではなかろうか。

ただ、最近何かと槍玉に挙げられている“あの国”に関しても、納得できる部分と否定したい部分と、が両方ある。これは私の持論なので、話半分として読んでもらいたいのだが、“あの国”の人々は、昔から「○華街」という物を多くのよその国で築き上げてきた。それは見方を変えれば、自国の(特に食)文化が外国においても必ず通用するという自信の現れであり、同国人同志で集まって協力し合い自分たちが暮らしやすい場所(街)を作った方が、言葉の通じない外国では生きていきやすい、という知恵の結晶ではないかと思うからだ。そういう知恵を蓄え実際の暮らしに反映させながら、右も左も分からない外国で日常を積み重ねていく、というのは生半可な努力・覚悟では出来なかったはずだ。それに比べれば「日本人街」「イタリア人街」という言葉を見聞きするようになったのは、この2~3年という気がする。
私の場合は精神疾患により世界情勢に注意を向ける事が出来なかったので、そんな気がするだけかもしれないが、少なくとも横浜○華街は100年以上前から存在しているし、なんだかんだ言っても逞しい商才と生気あふれる国民性である証拠として「華僑」という単語はかなり以前から辞書にも載っている。
しかしながら個人的な感想としては「傍若無人な振る舞いをする○国人」を多少は知ってるという部分もあるので、結局は、個々人の性格や品性の問題という地点に落ち着くしかない。
更に書くなら、日本人の中にも救いようのない無神経なバカが結構いる、というのは我々日本人も自覚している事実だし、他人・他国をどうこう言う前に我が身・我が国を省みる方が先、という至極当然なオチに行きつく訳だが。

えーっと…閑話休題。‘うつ症状’が良くなってくるのは非常に喜ばしい事なのだが、症状が必ずしも右肩上がりの直線を描いて回復してゆく訳ではない。脳みその‘血の巡り’が「中途半端に」良くなって来ているので、言いたい事・書きたい事が急に膨れ上がったような感覚になり、頭の中で知識や経験を含んだ情報が渋滞を起こして脱線しやすくなる。その度に‘脳内交通整理’をしないと論点がズレて言いたい事が伝わらないし、読者も読みにくいと思う。今回はドイツ旅行の話題一本に絞って書こうと決めていたはずなのだが。
しかし、副題のテーマから外れている訳でもないし、焦って書いている割には(10月中に間に合わなかった…泣)、それなりに言いたい事はまとめられたと思うので、今回はこのままUPしておく。

では、ここからドイツ旅行2回目について。
前回のパック旅行は確かに快適で便利で十分に楽しかったのだが、やはりドイツを旅するならバックパッカー方式で「自分たちで行き先を決めて状況に応じた変更もあり」の旅をやってみたいという気持ちが、友人も私も消えなかった。
なので数年後に、往復航空券と一泊目のホテルの予約だけを旅行会社に頼み、それ以外は現地に行ってから考えるというやり方でのドイツ旅に挑戦した。これは本当に良い経験になったし、その後の私の人格形成にかなり影響を与えた。何より「やればできる」という自信につながった。

現地に行ってから決めるといっても都市と都市を結ぶ長距離の移動手段は確保しておきたい、という事でドイツ鉄道(Deutsche Bahn)の10日間乗り放題といった旅行者向けの切符も航空券と一緒に友人が申し込んでいたような気がするが、あまり覚えていない。とにかく友人宅にお邪魔して打ち合わせをしたり、当日は早朝3時起きとかで友人の運転で空港に向かったり、と旅に必要な細々した事はほぼ友人任せにしていた。
因みに私はドイツという国に特に興味があった訳ではなく、単に「貧乏旅行」といっては何だが、自分の手足と頭を使った不便な旅がしたかったのだ。しかし友人からすれば自分の興味本位の我儘に付き合わせているという負い目があったようだし、私からすれば連れて行ってもらう上に面倒事はほとんど任せっきりという引け目を感じていた。今こうして思い返してみると、お互いの「あまり負担をかけては相手に申し訳ない」という気持ちが、ドイツ旅行を2回とも楽しめた遠因だったのではないかと思う。とにかく私は体力面では友人より勝っているという自信はあったので、友人が疲れた時には私が積極的に動こう、という腹積もりで飛行機に乗り込んだ。

機中では「よーしっ、いよいよだぁ~」というドキドキとわくわくで、当然睡眠などは取れなかったはずだ。第1日目の夜、フランクフルトにほど近い名前もよく分からないホテルへ到着したのは20~21時くらいだったと思う。
そこで早速、未だに忘れられない印象的な出来事があった。
もちろんチェックインの為にフロントの前に立つ訳だが、その受付の女性が、首を横に振って私達の言葉が分からないという仕草をすると、ぷいっと私達を無視して後から入って来た欧米系の女性客を応対し始めた。しかし余りにもあからさまな態度に、欧米系女性客がスッと手のひらを上に向けた状態で、私達を指し示した。すると受付係は欧米系女性に向けたマネキンのような張り付いた笑顔のまま、私達の手続きを始めた。……私と友人は、そっと顔を見合わせると、なぜか満面の笑顔になってしまった。「こ、これが東洋人差別というものか~」という初体験の感動(?)がシンクロして二人して笑う以外の選択肢がなかったのだ。「いやいや怒るトコだろがっっ」と言いたいのだが、なぜかこの場面を思い出すと今でも可笑しくてしょうがない。
この他にも差別的な言動は受けた。2回目は、地名は覚えていないが、夜間、割と大きい駅ナカの売店の立ち並ぶ通路を歩いている時、ドイツ人らしい若者5~6人が酒にでも酔っているのか大声で騒いでいた。私達は出来るだけ関わらないように数m脇を通り過ぎただけなのだが、大声の質と方向が変化したなぁと思った瞬間、私達の背中に何かを投げつけて来た。さすがにその時は二人とも笑顔になる事もなく完全無視で通り過ぎた。が、突然友人が踵を返して何mか戻って行き、落ちている物をじーっと見下ろしてから私の隣に帰って来た。私が「どーしたの?」と訊くと「なんか小さなコインみたい」と答えた。私達が約30年前に受けた不愉快な経験はその2回くらいなものだ。その他は皆、親切な人ばかりだった。
これも地名がはっきりしないが「東西の壁」のあった所へ向かった前後だから、たぶんベルリン近くの何かの博物館に行った時には、遺跡のような門構えを実物大で作ったらしい展示物が普通に入場口となっているので、あまり深く考えもせず「よくできてるなぁ」などと手触りなども確かめながら見入っていた。が、よく見ると縦1㎝横3㎝ほどの小さな金色のプレートが埋め込まれ、ドイツ語らしい単語が書いてある。友人がミニ辞書で引いてみると「さわるな」だと分かり、慌てて手を放す。という場面は外国旅行‘あるある’なのだろうが、その時は私達をずっと見ていたらしい年配のドイツ人男性に、急に後ろから話しかけられた。「あちゃー怒られる…」と一瞬ビクついたが、その男性は「いやぁさっきから注意しようか迷ってたんだけどねえ、気付いてくれてよかった~」的な事(たぶん)を言いながら、私達に飴を1つずつ差し出してくれた。
……判断に迷うのはこういう時だ。「純粋に外国人にドイツ旅行を楽しんでほしいと考えているボランティア精神あふれる地元の男性」と思いたいが、飴までくれるというのはちょいと怪しい。場を和ませる飴か・薬物を仕込んだ飴か。…とりあえず今すぐ食べるのはやめておこう、という事で友人と意見は一致した。だが、その男性はその後もずーっと私達の視界に入る所に居続けた。「ちょっと怖くない?」「ここまで付いて来られると、ちょっとねぇ…」などと会話する内に、いつの間にか男性の姿は見えなくなった。
ホッとして、それからは展示物に集中して館内を見て回った。そして、そろそろ出ようか、と出口に向かって歩いていきながら、ギョッとして思わず立ち止まった。さっきの男性が博物館出口の柱の台座部分に腰を掛けているのが目に入ったからだ。「こりゃマジで厄介な変質者に目を付けられてしまったか」と暗澹たる気持ちになって無視するか、それとも走って逃げるかなどと考え始めた時、その男性が話しかけて来て「もしかして怖がらせてしまったかな?だったら申し訳ない。とても熱心な様子が嬉しくってね~。もう俺は帰るけど、この後も是非ドイツ旅行を楽しんでってくれよ」みたいな事(たぶん)を一方的に言い終えると、ちょうど来合わせた路線バス(たぶん)にひょいと乗り込み、バスの車窓の中から穏やかなアルカイックスマイルを残して行ってしまった。
「ねえ、これって私達に危害を加えるつもりはないって事を分かってもらう為に、バスに乗る所を見せる為に、私達が出て来るまで、わざわざ待ってたって事なんじゃない?」と友人に言われて、私は「え~、普通そこまでしないでしょ、たかが観光客に」的な返事をしたような気がするが、あれから30年近く経ち、その間、色んな人間を観てきた現在なら、友人のこの時の、この意見に、諸手を挙げて賛成しよう。国は違えど、見返りを求めない善意は確実にあるのだ。あまりにも少なくて珍しすぎるから、特に私のように歪んでしまった者には、なかなか見つけられないけれど。
何となく、今この文章を書きながら思いついた単なる推測だが、あの男性が「自分のような人間にもちゃんと警戒心を持てる、この2人の東洋人女性なら安全に旅を終えられるだろう」という安心感を持ってくれていたとしたら、こんなに嬉しい事はない。外国であればこそ・言葉が通じない故の、ほんの小さな信頼。やはりパック旅行ではこういった経験は得難い。
そして言葉に拘れば拘るほど、皮肉な事に、こんな場面に出くわす機会は増えてくるような気がしてならない。言葉のいらない・言葉がない方が良い・言葉では絶対に伝わらない、その場に居合わせた者だけに分かる、独特の、空気のような捉えどころのない“なにか”。
因みに貰った飴は、友人はドイツにいる間に食べてしまったようだ。「普通に美味しかったよ」と言っていたような記憶があるが、20代半ばで既に歪んでしまっていた私は、日本に戻ってから・安全を確保してから、口に入れたような気がする。当然、急に眠くなるとか体調が悪くなるとかも無かったし、普通に美味しい飴だった、ような気がする…。

今回でドイツ旅行1回目と2回目の両方を書き切れると思っていたのだが、よく考えたら…、1綴分で収まるはずがなかった。2回目の旅は自分たちで計画し意欲的に行動しただけあって覚えている事も多い。書けそうな出来事を今、紙に書き出してみたが…、まだ他に7件ほどある。もちろん書き始めてみたら5行くらいで済んでしまうかもしれないが、後から思い出したり、気付いた点を付け加える事も考えると、今回の〚異国について〛は「その2」「その3」と続く可能性もある。しかし出来るだけ短くまとめていこうと思っている。
記事が遅れまくっているお詫びという訳でもないのだが、夏が終わってから妙に調子がいいので、少なくとも「その2」は11月中には読んで頂けるよう努力する(これ以上しくじると「UPするする詐欺」になるぞ)。 

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