まだ3回分の記事しか書いていないのだから、「これまで」とか「振り返る」等というのはチャンチャラおかしい話ではある。
しかしながら、このたった3回分を綴っただけで、読者の皆さん、特に精神疾患にあまり関わった経験のない方々には、ちょっと分かりにくい部分があるように感じた事、そして‘うつ’によってガチガチに固まっている私の記憶を削り取るのに時間をかけるよりは、書き終えている文章に注釈を付け加える方が多少は速く記事が書けそうな気がする(苦笑)などの理由もあって、これまでの内容について説明と補足をさせて頂きたい。
第1綴に関して、まず何よりも一番先に言いたいのは、教育者として子供たちに接する人間は、ベテランや年配教師の方が「適切」とか「熟練している」等の先入観は捨てた方が良い、という事である。なぜなら私の中学1年時の担任だった女性教師は当時40歳代であり、N先生は27歳だったと記憶しているからだ。
そして、このブログを読んでいる人のほとんどが最も知りたいと思っているのは「N先生がどんな方法でイジメを収束させたか」という事だろう。
それについても、ある程度は判明している。というか教育問題や子供たちの困難に長年携わってきた人間なら、それほど難しい話ではないらしい。鍵は「夏休み」にあった。
私は40代前半くらいまで「N先生はきっと魔法が使えたんだろう」と半ば本気で思い込んでいた。というか、イジメを収める方法など考えても分かるはずがないと決め付けていた。しかし、このブログを始める事が次第に現実味を帯びてきた40代終わり頃になって、イイ歳をしたおばちゃんが「先生が魔法でイジメを解決してくれた」などと書いては余りにも情けないので、少しでも何か思い出せないかと考えこむ状態がしばらく続いていた。そして何かの拍子に「…そうか、夏休みだ」という所までは自力で気付けたのだが、…そこから先がまた進まない。ブログ開始の、記念すべき第1回目の素材としては使いづらいか?と迷っていた時、私はネットである記事を見つけた。
それはイジメや非行など子供たちの問題に何十年も地道に関わり続けている、ある教育者氏のインタビューを文字起こしした物で、正に私の中学2年時の体験と夏休みがどう繋がるのかの「正解」がそっくりそのまま当然のように載っていた。
その内容は「昔はイジメを解決するのは簡単でした。夏休みにでも子供たちとゆっくり話せば夏休み明けには何事もなかったかのように落ち着きます。でも最近はその方法は使えません。ネットであっという間に人を傷つける情報が広まってしまう。消しても消しても追い付きません」というものだった。
ただし、このインタビュー記事を読んだのも、おそらく3年から5年くらい前の事であり、記憶がかなり曖昧ではあるが、内容的にはこういう意味の事が書かれていたのは間違いない、…と思う。
おそらくN先生は、あの「濡れ場」の話をした第1日目から、ずっと私を含めた生徒全員の様子をひたすら観察していたのだ。誰がどんな言動でイジメをし、それに他の生徒や私がどんな反応をしているか、一人ずつ詳細に記録を取っていたに違いない。そして夏休みに入ると、その記録を元に一人ずつ膝を突き合わせて話し合いをしていったのだろう。私がN先生と1対1でイジメについて会話していれば絶対に忘れるはずがないが、私にその記憶がないという事は「私以外の生徒全員」と話し合ったという事だ。どんな話し合いが持たれたのか、までは分からないが、そう考えないと辻褄が合わない部分がある。
第1綴を書きながら、ほんの少しだけ思い出せた事がある。私が中学2年時の12月、N先生が何度もしつこいくらいに注意を促していた。「いいか~終業式の日、絶対休むなよ~。一人でも休んだらダメだぞ。休んだ奴は…ぶっ飛ばーす…あ、いや、ぶっ飛ばすのは色々マズイか。…まぁ休んだ奴は何かペナルティな~。いいか、とにかく絶対に休むなよ~っ」と言っていた。
何に関しての注意なのか、ずっと記憶が繋がらなかったが、終業式の日、つまり冬休みが始まる前日以外には、このクラスの生徒全員が揃って写真を撮れるタイミングが見つからなかったのではないだろうか。
教室の黒板の前で椅子を並べたり机を積み上げている記憶もあるが、コレも何をやっている状況なのか、よく思い出せずにいた。この記憶は、一枚の写真に40人全員の顔を一度に写せるようにする為、後方に立つ者用に階段状に段差を作っていた時のモノだったのだ。
ただでさえ悪ふざけをしたがる中学2年生達をある程度静かにさせながら机を積み上げ、顔が写るように並ばせ、他のクラスの帰りの挨拶が終わった頃を見計らって、手の空いた先生を呼んで来て写真を撮ってもらい、また机を元通りの位置に並べ直す。これだけの作業をするには、どう短く見積もっても15分前後はかかるだろう。部活動に遅れたくない生徒もいただろうし、何より年賀状のプリントに間に合わせる事も考えると、部活も給食も清掃もなかったであろう終業式の日が最も最適と判断したのだろう。
更に、2月下旬にN先生が私へ封筒に入った年賀状を渡した時、教室には生徒全員がいたはずなのだ。そんな中で女子生徒一人だけに封筒などを手渡したら、何らかの横槍かヤジが入るのが普通だ。だが私の記憶が確かなら、あの時、誰一人として何も言わず教室は静かなままだった。つまり私以外の生徒全員がN先生の踏んだドジを事前(私に封筒を手渡す前)に知らされていた、という事になる。
「夏休みに私以外の生徒全員と一人ずつ話し合った」と考えないと辻褄が合わない、というのはそういう意味である。
とにかく「N先生が夏休みに生徒一人ずつと話し合いをしてくれた」おかげでイジメが消滅したというのは、単なる私の思い込みではなく、(記憶に多少不安はあるが)ちゃんと根拠がある、と言って良いと思う。
しかし、この教育者氏の言う「イジメの解決が簡単」というのは、あくまでも昨今のネット社会と比べての話であって、40年近く前に実際にN先生が果たしてくれた役割は、それ相応の覚悟と根気がないと難しいのではないだろうか。何しろ生徒は私を除いても38人もいた訳だし、親(保護者)の事を考えれば生徒を学校に呼び出すにしても、自宅を訪ねるにしても、角が立たないように事を運ぶにはそれなりの手間暇がかかったはずだ。
そして今、40年近く前の体験を思い出しつつ、この文章を打ち込みつつ、改めて気付かされるのは、「クラス全員が気分よく仲良く過ごせた思い出」をクラス全員一人ひとりに必ず持たせてやるのだ、というN先生の「執念」ともいえる入念な計画と行動力そして強固な意志だ。更にそこにはN先生個人の思い込みや独りよがりは一切存在せず、何よりも生徒の気持ちを最優先に考える、という冷静さも含まれている。私も半世紀以上生きてみて分かったが、この「執念」とか「欲望」という強い感情にはどうしても、本人の、その人個人の思い込みや独りよがりがほぼ確実に入り込んでしまう。というか「人間は生まれながらに独善的な生き物である」という事実に異を唱える人は、まず、いないだろう。
そんな中で、このN先生に出会えた事・この経験を思い出せるだけの記憶力を持っていた事は、実に幸運だ、というしかない。というのは上にあげた教育者氏や27歳だったN先生の事を考えれば、私と同じ方法でイジメから助けられた生徒は他にも、かなりの人数がいるはずなのだが、私と同じ体験談を見聞きした事は一度もない。単に私の耳目に入って来ていないだけかも知れないし、もちろんイジメられた頃の話など振り返りたくない者も多いとは思うが、助けられた事実を丸ごと忘れてしまっている、というパターンも結構多いのではないか、という気がする。実際、私は20代中頃まで、この中学2年時の貴重な体験をじっくり思い返したり、深く考え直してみたりした事はほとんどなかったと思う。仕事や結婚でバタバタしていたというのもあるが、何よりN先生が、とにかく自然でさりげなく、私だけを特別扱いする事もイジメに関する直接の問いかけも一切しなかった為に、記憶に残りやすい要素が少なかったから、という事はあるだろう。
では、なぜブログの為とはいえ、40年近く経っていても私がこうして記憶を掘り起こせるのか……、きっと恨みと怒りの感情が人より強いからだ、と今この文章を打ち込みながら確信している。
……私はきっと恨みと怒りの感情が強く、イジメられた恨み・家庭への嫌悪・夫への不信の経験と記憶が積み重なり、忘れられなかったからこそ‘うつ’という病を得た。そして恨みと怒りの感情を捨てずに大切に持ち続けて、何とか生きるエネルギーに上手く変換させる事が叶ったからこそ、今こうして回復して来たのだ、という気がする。20年近い歳月が掛かってしまった事には悔しさも多少あるが、やはり‘うつ病’は私が生きていく上で、なくてはならない要素なのだ。言ってしまえば‘私’だからこそ、うつ病を踏み台にして、こうしてブログで文章を発信出来るまでになれた、とも言える。
こんな地味なブログではあるが、やはり私にとって「言葉を一つ一つ調べ、選び出し、文章を書く」作業、そして「私の文章を待っている読者がいる」という全く新しい日常は、…わくわくと高揚感と生きている実感を同時に感じられる、とても充実した時間となっている。
――私は5年ほど前に自宅療養を切り上げて再び働き始めた。自宅療養をする前も、そして今も、とにかく人間観察(特に職場というのは色んな利害関係があるので面白い)だけは続けてきたが、ずっと変わらず断言できるのは一つだけだ。
「どんな人間も常に寂しくてたまらない」コレに尽きる。そしてその寂しさを家族や友人や恋人や職場の人達、つまり自分以外の人間で埋められると信じている人がほとんどだ。私も‘うつ’を得る前は同様だったのだから、あまり偉そうには言えないが、自分の寂しさ・不安を他人との関わりだけで埋めるのはどう考えても無理があるし、誰しも自分の都合があり、他人の寂しさ・不安を埋める為だけに存在しているわけではない。だからこそ「自分を知る」事が必要だ、と私は考えている。じゃあ「自分を知る」って何だよ?何をすりゃいいんだよ?という話になる訳だが…。
今更ではあるが正直に言って、これをすれば誰でも「自分を知る」事が出来る、と言えるものは何もない。それについては謝るしかない。病中であろうとなかろうと具体的な方法を思い付けずにいるのは、もどかしいし申し訳ないのだが、ただ私が他の人より「自分を知る」事が出来ているとしたら、それはただ「ひたすら一人で考える」を続けてきたからだろう。
私の場合は、家庭も学校も、自分で選んだはずの夫も当てにできないという状況での生活が続いた上に、職場の人などに相談しても見当違いな答えしか返ってこなかったので、消去法で残ったのが「自分で考える」しかなかっただけなのだが、結果的にそれが良かったようだ。
特に、この5年間、病気前とは違った視点で人を観察してきたが、何か問題を抱えている人や上手く行かない人、毎日が楽しいと思えない人というのは、自分の頭で考えずに人を当てにするタイプが多いような気がする。いや、人に聞く・相談する・協力してもらう事がダメなのではない。少なくとも一度か二度は自分一人のチカラで考えて、やってみないと自分の力量が分からない(自分を知る事がない)まま次へ移ってしまう、という事だ。「出来る努力は自分ひとりで出来るだけしておく」という考え方を基本にしておかないと、もし人に安易に迷惑をかけてしまい、そしてその人が後々離れていく事態になれば、結果的に損をするのは自分だという事は、ある程度若い内に理解しておいた方が良い。努力は自分の為にするモノだ。
もう一つ明言しておきたいのは、自分のマイナスの感情こそ大切にすべき、という点だ。
最近特に気になるのが、‘雰囲気が悪くなる’ことを心配して、自分の不愉快・不満を我慢して、ストレスや怒りを自分の中で育ててしまう人だ。
もちろん、ただの我儘とは区別して、ある程度言い方や状況にも配慮しないと、イジメ・嫌がらせ・圧力と受け取られて事態を悪化させては元も子もないが、「その言い方はカチンとくるし、もう2回目なんで今後はやめてください」とか、自他ともに感情を表明・認識できる関係を築いていく事が、精神衛生上最善の選択である、というのは‘うつ病’を長くやって来て、そしてある程度治ってくれば、一瞬で判断が付くのだが、やはり衆人環視の職場内等では、とっさに我慢してしまう人は多いようだ。そうして少しずつ、じわじわとストレスを溜め込み、結果的に職場環境の悪化に加担しているという意味では、我慢する側も同罪と言えるのではないか?こういう場合の‘我慢’は美徳とは言えない。
そもそも怒り・憎しみ・恨みを持たない人間などいるはずがないのに、最近は何事にも平和な雰囲気・和やかな環境であるという良い印象を振りまく事ばかり考えて、「いや既にもう険悪な空気ダダ洩れになってる」と全員が分かっていながら、アハハと笑い声だけが虚しく響いている状態は、ひたすら寒いだけだろう、と思うのだが。そして、その“御座なりの仲良しこよし”が自分をごまかし、「自分を知る」から、どんどん遠ざかっていくのだ。
現時点では、私の視点や考え方ばかり述べても、イマイチ具体的な方法にはたどり着けないようだ。このブログ発信の情報は、基本的に私が実際に体験し、思った・考えた・感じた事を中心に書いていきたいし、その方針を変えるつもりはないが、3ヶ月ほど前にネットで色々漁っていた時、偶々見つけた1冊の本が、私の思う「自分を知る」方法にかなり近い気がするので、それについて紹介しておく。
〖新版 ずっとやりたかったことを、やりなさい〗ジュリア・キャメロン著 サンマーク出版
原題がThe artist’s wayだそうだが、別にアーティストとか創造する人間になるつもりが無くても全然構わないと思う。この本を読んで実際にやってみた人の意見を3~4人分読んだだけだが、全員「やってよかった」という感想を書いている。まぁネットに載ってる感想ではあるが…。
その内容はというと、A4ノートを用意し毎日朝起きてすぐ3ページ分、ひたすら頭に浮かんだ事をノートに書き続ける、というものだ。他人に見せたりせず字が間違っていようが取り留めがなかろうが気にせず一気に書き上げるのが良いらしいが、A4ノートに3ページ分というのが“なかなか”の作業量ではある。時間と興味のある方は是非検索するなり本を購入するなりして、試してみてほしい。
因みに私は、本そのものは手に入れていないが、100均でA4ノートを購入済みではある。時間的・脳力的に今すぐ実行に移すのは無理だが、半年後か1年以内くらいには実際にやってみる予定であり、必ず結果は報告するので、こちらもブログ同様、引き続き、慌てず急かさず、お待ち頂きたい。
《お知らせ》
既に皆さんもお気付きの通り、第4綴に予想外に時間が掛かってしまいました。この調子のままだと第5綴は3月上旬UPの可能性もありますが、無理しない程度に、2月中のUPを目指すつもりです。
また第5綴が2月中のUPであっても3月上旬UPであっても、第6綴以降はブログ開始時にお知らせした通り、毎月一度の定期的なUPという安定した状態にしたいと考えております。
流動的なお知らせが続いてしまい誠に恐れ入りますが、何よりも自分の精神と身体両面での健康に充分留意しながら文章作成に勤しんでおります。何卒ご理解のほど、お願い申し上げます。
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